自律と他律について ③
師弟関係における自律と他律について。
詩の学校がひと段落ついて、みんなでお菓子などを食べているとき、秋田住職と少しお話する機会があり、自律と他律について①で書いた違和感について聞いてみた。
大人になったら他律がそんなに必要なのでしょうか?
師弟関係など、他律が必ず悪い作用をわけではない。とのことでした。
他律というのは、前回の話(自律と他律について②)からもっと具体的にいうと、相手を知ることである。
相手を知る最も効率的な関係性は、師弟だと思う。次に恋愛、親子なのだと思う。
なぜなら、わざわざ意図的に自分自身を晒し、相手に見せていく(他律する)必要がお互いにあり、それをお互いに要求する関係性であるという理由づけまでついている。
弟子がはじめは他律だったが、そこから自律になっていく過程で師匠との対立関係が生じる。関わるということはそういうことなのだが、相手を知っていくなかで、自分のことがわかっていき、自分自身になっていく、いわゆる守破離が起こる。
恋愛だと、イチャイチャ期から、ケンカをし始め、そのうちお互いの距離の取り方が分かるようになる。
赤ちゃんでいえば、従順な時期から、イヤイヤ期になり、自分で判断できるようになるということだろう。
みんなちがってみんないい
は、本来そこに「だから自分で責任とろうね。」が入っているのだが、お互いに干渉せずに、責任逃れするための都合のいい隠れミノになっているようだ。
(本当は、責任という言葉自体を使わなくていいくらいセルフコントロール出来る世の中になればいいのだけど。)
対立構造が生まれたときに、その問題に対して向き合うことで、ようやく自律(セルフコントロール)できるようになるのだ。
師匠に関していうと、自分の文脈を手渡し、相手の自律を見つめることで新しい他律を手に入れるのである。
相手を知ることで自分を知る。これを繰り返していくことで、どこまでも遠くへいけるだろう。
支配することと他律は違うということさえおさえておけば、師弟関係は、非常に便利な他律ではあるなあと思った。
森林浴アトリエ小々枝 住人より
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